同窓会長
杉田 豊
運慶
昨秋、上野の国立博物館で特別展「運慶」を見る機会を得ました。
これまで私にとって運慶といえば、中学校の修学旅行で出会った東大寺南大門の「金剛力士像」でした。筋骨隆々、目いっぱい力を溜め込んだ姿は、一度見たら忘れることができません。
しかし、今回の特別展で最も印象深かった作品は、重厚な如来像や菩薩像、カッと見開いた明王や鬼の憤怒の像もさることながら、「無著(むじゃく)菩薩立像」(国宝)、「世親(せしん)菩薩立像」(国宝)でした。
無著と世親は、古代インドに実在した兄弟僧とのことですが、深い思索の表情を湛(たた)えながら、穏やかで包容力を感じさせる兄無著、弟の世親には何かを訴えかけるような雰囲気がありました。個々の力感あふれるリアルさを追求しながらも、二人の内面の深さを造り分けている精神性の描写はあまりに見事で従来の運慶に対するイメージを一新するものでした。
漱石と運慶
運慶で思い出す一つに夏目漱石の短編『夢十夜』があります。
「第六夜」に、護国寺の山門で大勢の見物人を前に無心に仁王を彫る運慶が描かれています。筆の運びはさすが文豪、運慶の優れた力量を存分に表現しています。
運慶は今太い眉(まゆ)を一寸(いっすん)の高さに横へ彫り抜いて、鑿(のみ)の刃を竪(たて)に返すや否や斜(はす)に、上から槌(つち)を打ち下した。堅い木を一(ひ)と刻みに削って、厚い木屑(きくず)が槌の声に応じて飛んだと思ったら、小鼻のおっ開(ぴら)いた怒り鼻の側面がたちまち浮き上って来た。
といった具合です。
漱石はあまりに感心したから独り言のように、よくああ無造作に鑿を使って思うような眉(まみえ)や鼻ができるものだなと言うと、見物人の若い男が、「なに、あれは眉や鼻を鑿で作るんじゃない。あの通りの眉や鼻が木の中に埋まっているのを、鑿と槌の力で掘り出すまでだ。まるで土の中から石を掘り出すようなものだからけっして間違うはずはない」と云った。
彫刻とはそんなものか。それなら誰にでもできる事だと思い、急に仁王が彫ってみたくなり、家に戻り裏庭の大きな薪から片っ端に彫ってみるが、どれにも仁王を蔵(かく)しているものはなかった、という夢の物語です。
この作品は、漱石が自らの作家活動において、時として苦も無く筆が進むときの心象を運慶に託して表現したのではないかと思うのです。
小平邦彦と漱石
小平邦彦は、「フィールズ賞」を日本人で初めて受賞した世界に誇る数学者です。
小平は新しい定理を発見したときの心境、研究が進むときの実感を『夢十夜』の一部を引用したうえで、次のように述べています。
私も二つ三つ新しい定理を証明したが、決して定理を自分で考えだしたとは思わない、前からそこにあった定理をたまたま私が見つけたに過ぎないという感じがする。
数学の研究は非常に困難な仕事でもあるが、必ずしもそうでないときがある。何もしないのに考えるべき事柄が次々と自然に見えてきてわけなく研究が進展することがある。その時の実感は、漱石の『夢十夜』の運慶が仁王を刻む話に良く表れている。〈『数学のすすめ』「数学の印象」(筑摩書房)〉
棟方志功も版画を彫るときの心境を漱石、小平と同様のことを語っていることを後に知りました。
このような「感覚」の実感が分野こそ異なっても超一流と言われた人たちに共通して存在していることを知った時、一人驚愕したことを覚えています。
教育
翻って、教育(education)とは「引き出すこと」と言われます。児童生徒の持つ宝物をいかに引き出すか、これが私たち教師の生業です。
現役時代、自分が向き合った児童生徒から仁王が出てこなかったとすれば、それは紛れもなく、彫り出すことのできなかった自らの力量によるものと自責の念にかられたものです。
ただ、
数学もたいていの木には定理は埋まっていない。多くの場合何も出てこない。研究の成否は主として運のよしあしによるように思われる。
というこの小平の言葉を身勝手に解釈し救いを求めていた自分を懐かしく思うこの頃です。
教育界は今、課題山積のなか教師は日々悪戦苦闘していると言っても過言ではありません。にも拘らず、教師の皆様には児童生徒の宝物を引き出す精一杯の努力を期待する昨今です。